ヨブ記

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ヨブ記 - Wikipedia

 

連投です。

二つ前の記事でヨブ記に言及したきりでしたが…、読みました。ずっと前に(^_^;)

結論から言ってしまうと、出エジプト記の方が面白かったです。

理由は主にふたつで、ひとつは状況の変化や移動、展開などが無いこと。

もうひとつは、神様(ヤハウェ)がチート過ぎること。それまで散々もめてきたのに、ヤハウェが最後に出てきてちょろっと喋ったら、あっさり話がまとまっちゃったこと。

無駄にヨブがいじめられただけ感がすごいんです。

 

ただまあ裏返して言えば、何の落ち度も無いのに悲惨な目に遭うというのはまさに現実そのものの在り様だし、それでも神を信じ続けることが救いへの道なのだよと説くのが宗教というものであると思えば、まさに王道なのかな。

 

あとちょっと面白かったのは、ヨブが意外と文句たらたらだったとこ。

次々降りかかる災厄に対するリアクションが「普通の人ならこうなるよな…」という感じだった点。

どんな過酷な状況であっても、ひたすら神を信じ抜き、歯を食いしばって耐え忍ぶヨブ像をイメージしていた自分にとっては、

 

「こんなにひどい目に遭うのは何故なんだ!?」

「私に落ち度があったのなら教えてくれ」

 

と訴えるヨブの姿は義人というより、普通人に近く感じられました。

 

どんな苦難も無言で耐えちゃうドM超人が、最後の最後で「よく耐えたね」と神様に褒められて幸福にしてもらう筋かと思ったら、そうでもなくて結構ぶつぶつ言ってる(言いたくなるくらいひどい目に遭ってるけど)。

そこらへんの感覚の違いが、日本と中東の違いなのかなとも思ったり。

 

 

ともあれ現実に起こる悲惨なことがぜんぶ、神の意志だったらちょっと嫌かな。

仮に「最終的には幸せにしてあげるよ。でもその前にこの試練に耐えてね。」みたいなノリで災厄を降らされたらやっぱり、「最後幸せになれるなら最初からしてよ。何で途中でひどい目に遭わせるの?」って思っちゃうし、最後は幸せになれたとしても、「これで帳尻合わせたから良いでしょ?」っていう感覚の超越的存在がいたら、どんなお偉いさんが相手でもやっぱり腹が立つ。

 

ヨブは最後、以前にも増して幸福になったみたいだけど、内心はこう思ってたんじゃないかな。

「結局あれ、何だったんだよ」って。

少なくとも、もし自分がヨブだったら絶対そう思ってるなぁ(^_^.)