連投(覚え書き)in弁天公園
始めた瞬間だけは気が乗るもので、もう一本投稿。
先々週、弁天公園で5~7日の三日間、音楽イベントがあった。
5日(金)の時点ではそもそもイベントのことさえ知らず、仕事でもあったので参加できず。ⅯのLineで知り、土日の二日間参加。
土曜の朝、9時頃に行ってみた時にはまだ準備中。
なんと入り口が封鎖されており園内に入れず。公園の主の爺さんが「公園は皆のものだ」と言って怒っていた。
イベントは土日の朝から晩まで行われた。
屋台も出ていて、ホタテラーメンやロングポテトを食べた。Ⅿからは串焼き肉を一口。
東京卍會や、なんかのアニメの制服着たレイヤーさん、アニソンが流れると前に出てきてヲタ芸を披露する方々、踊ってる小さな子もいて、なにやら楽しいイベントだった。
あと、目立つ女子がいたのだけれど、後日イベントのことを検索してたらそれがグラドルの桐山瑠衣という人だと分かった。通りで…というスタイルだった。
最終日の夜にDJさんだかスタッフさんだかが「来年もまた!」とか言ってたので、また来るのかな?
何年か置きに書きたくなる。。。
鷗外の随筆集を読んだ。
だからというわけでもないが、自分の中でうっすら何か書きたい気分が少しずつ醸成されているのを感じていたので、久々にすこし書いてみることにした。
数年前に自分が無料ブログのアカウントを取得していた事は記憶していた。
が、アメーバだかどこのブログだか、それさえ忘れていた。
そのためまず、無料ブログで画像検索をしてみたところ、いろいろなロゴが集まっている画像が目に留まった。その中に、はてなのロゴがあり「そうだ、はてなだった」とようやく思い出せた。
で、次は、IDとパスがどれだっけかということになり、思い当たるものをいくつか順に入力してログインボタンを押してみて…、でようやく探し当てた。自分のブログを見つけるのに一苦労だ。けどたぶんそういう人は多いだろうなと思う。
何年かに一度、ブログ書いてみようかなと思い立っては続かなくて放置するを繰り返してきたのでたぶん今回もそうなるのかな…と思っているのだけれど、なんとなく今度はだらだら続けられそうな気もしてる。
たぶんコツはきちんと書こうとしないことだ。
体裁を整えたり、テーマをしっかり決めてとかいう気持ちが勝ってくるとダルくなる。
いい加減に適当に。ただまぁテーマは適当にでも設定すればいいのかなとも。
たとえば明日はTシャツ。明後日はカレーとか。
明日は酉の市に行こうと思ってるから、そのことを後ででも書けたらいいなと思うけど、ひょっとしたら、もうこれで飽きてしまうのかも。まぁその時はその時でということで。
ヨブ記
連投です。
二つ前の記事でヨブ記に言及したきりでしたが…、読みました。ずっと前に(^_^;)
結論から言ってしまうと、出エジプト記の方が面白かったです。
理由は主にふたつで、ひとつは状況の変化や移動、展開などが無いこと。
もうひとつは、神様(ヤハウェ)がチート過ぎること。それまで散々もめてきたのに、ヤハウェが最後に出てきてちょろっと喋ったら、あっさり話がまとまっちゃったこと。
無駄にヨブがいじめられただけ感がすごいんです。
ただまあ裏返して言えば、何の落ち度も無いのに悲惨な目に遭うというのはまさに現実そのものの在り様だし、それでも神を信じ続けることが救いへの道なのだよと説くのが宗教というものであると思えば、まさに王道なのかな。
あとちょっと面白かったのは、ヨブが意外と文句たらたらだったとこ。
次々降りかかる災厄に対するリアクションが「普通の人ならこうなるよな…」という感じだった点。
どんな過酷な状況であっても、ひたすら神を信じ抜き、歯を食いしばって耐え忍ぶヨブ像をイメージしていた自分にとっては、
「こんなにひどい目に遭うのは何故なんだ!?」
「私に落ち度があったのなら教えてくれ」
と訴えるヨブの姿は義人というより、普通人に近く感じられました。
どんな苦難も無言で耐えちゃうドM超人が、最後の最後で「よく耐えたね」と神様に褒められて幸福にしてもらう筋かと思ったら、そうでもなくて結構ぶつぶつ言ってる(言いたくなるくらいひどい目に遭ってるけど)。
そこらへんの感覚の違いが、日本と中東の違いなのかなとも思ったり。
ともあれ現実に起こる悲惨なことがぜんぶ、神の意志だったらちょっと嫌かな。
仮に「最終的には幸せにしてあげるよ。でもその前にこの試練に耐えてね。」みたいなノリで災厄を降らされたらやっぱり、「最後幸せになれるなら最初からしてよ。何で途中でひどい目に遭わせるの?」って思っちゃうし、最後は幸せになれたとしても、「これで帳尻合わせたから良いでしょ?」っていう感覚の超越的存在がいたら、どんなお偉いさんが相手でもやっぱり腹が立つ。
ヨブは最後、以前にも増して幸福になったみたいだけど、内心はこう思ってたんじゃないかな。
「結局あれ、何だったんだよ」って。
少なくとも、もし自分がヨブだったら絶対そう思ってるなぁ(^_^.)
近未来の予感
お久しぶりです。
唐突ですが先日、JR大宮駅でイベント開催されている無人コンビニ店で買い物してきました。
店舗入り口で端末にsuicaをかざして入った後は、欲しい商品を手に取って、出口脇のモニター前に運ぶだけ。するとAIが持ってきた商品を感知して、自動的に会計額を表示してくれるので、そこでsuicaをかざせば決済終了。
もはやバーコードを読み取る必要も無いんです。
ただ、この店舗はまだまだお試しの段階で、入店できるのは1人ずつ。
前の人が買い物を済ませてから次の人が入っていくシステムなので、自分の順番が回ってくるまで多少の待ち時間がありました。
ブース周りにいた関係者に話を聞いてみると、商品の認証は店内のカメラでしているとのこと。けれどもまだ、複数人の認証や万引き対策などなど課題はたくさんあるため、実用化はまだ先だそうです。
それでも無人の店でバーコードすら通さずに買い物できる体験は、なんだか不思議で楽しかったです。
今日でイベントは終わりになるはずだけれど、これから今より技術が進化した時に模擬店が開かれたらまた行ってみたいモンです。
人類最古の大脱走?
ふとユダヤ人のことをちゃんと知りたくなって、「じゃあやっぱりユダヤ教からかな」と思い立ち、家にはずっとあったけれどもちゃんと読み通したことのなかったこの本をひもといてみました。
タイトル通り、エジプトから脱出するお話です。
ざっくりあらすじを紹介すると、舞台は紀元前13世紀頃。エジプト人の元で奴隷として働いていたユダヤ人(ヘブライ人orイスラエル人)がいて、その中に例のあの方がおりました。そう、モーセです。
ある時モーセに唯一神ヤハウェが「私がユダヤ人達をエジプト人から解放してあげよう。君はその指導者になりなさい」と話し、そこからモーセがユダヤ人をエジプトから脱出させようとします。
モーセはエジプトの王ファラオに掛け合い、ユダヤ人をエジプトから出してくれと言うけれども、好きなようにいくらでも働かせられる人達を手放すはずもなく、NOを突き付けられます。
で、ヤハウェはそんなファラオへの見せしめとして、十の災いをもたらす。
ナイル川の水を血に変えたり、蛙とかぶよとかあぶとか放ったり、疫病を流行らせたり、エジプトを暗闇で覆ったり、長子を皆殺しにしたり…。まあ凄まじい。
こんだけひどい目に遭わされたファラオはたまらず、「もう行け」とモーセに言うので、モーセはユダヤの民を引き連れて出て行く。だけどもやっぱりあきらめきれずにエジプト人が追いかけて来る。
そこでユダヤ人たちは口々に「だからエジプトで奴隷をやってた方がマシだって言ったのに」とか「何で俺達をこんなところに連れ出したんだ」とか文句を垂れるのだけれども、そこでモーセがヤハウェの指示通りに杖を海に向けてかざすと、海がばっくり二つに割れて、ユダヤ人はその間を通る。その後を追いかけてきたエジプト人達は、モーセが再び海に向けて杖を振った瞬間、元に戻った海に飲み込まれて死亡。
と、大体こんなかんじ。
知ってる人からすれば何をいまさらな話だけれど、改めて読んでみると、ヤハウェのけっこうな残虐さが目に付く。選民思想とか言われるだけあって、ユダヤじゃない人達には加護もへったくれも無い感じがすごいです。
モーセの話はこのあとも、レビ記、民数記、申命記へと続いていくのだけれども、実は岩波文庫からはこれらは出ていないという…。旧約聖書自体はあるけど、そっちはなぜか文語訳で読みにくいことこの上ないという…。
こうなるともう、ぜんぶ収録されてる旧約聖書そのものを買うしかないのかな(^_^;)
安くて読みやすい旧約を入手できればベストだけど、そんなこんなでとりあえず、次は同じ岩波文庫のヨブ記に進む予定です。こちらもずっと前に購入だけはしてるので。
ヨブ記のテーマが『義人の苦難』ということで、物語としても面白いんだろうなぁと期待しつつ、今日はもう寝ます…。良い夢見ろよ。
さわやかランドのにぼにぼ君
今日は渋谷で煮干しラーメンを食べました。
店は、渋谷警察署の裏の方にある『すごい煮干ラーメン凪』さん。
「美味いですよ」と人に聞いたので試しに行ってみると、店内は煮干しの匂いがぷんぷんで良い感じ。先月赤羽で食った煮干しラーメンよりも濃厚なのであろうなぁとすぐにわかりました。
今日頼んだのは、煮干しラーメン並(180g)の硬さ普通。たぶん一番オーソドックスなやつ。
食券を渡してから10分弱すると、濃厚なスープの上に煮干し数匹とチャーシューの添えられた器が到着。麺はちぢれた太麺+ワンタンっぽい極太麺の二種類で食べ応えがありました。
チェーン店だけあって、濃厚ながらもバランスが良い感じなので、煮干しが苦手な人でなければ一度食してみて良いかと。
ご馳走様でしたm(__)m
いわゆるひとつの正義を教わりました。
週刊新潮に連載中のコラム、変見自在の文庫版。
著者、高山正之さんが朝日新聞やNHK等々を「これでもか、これでもか」とぶった切る様がなにやら痛快な一冊だ。
今のテレビや新聞の多数派とは逆の切り口から物事を論じる著者の言は、初見の人に劇薬のような衝撃を与えるほどに痛烈で、「なるほどファンが多いのもうなずける」と思わされる内容なのです。
ただまぁどんなに立派な人の言うことであれ、ぜんぶ正しいと思っちゃうのはやっぱり問題なわけであるからして、この人の言葉もそのような態度でもって受け取るのが良いのかなぁなんて思いながら、あっという間の読了でございました。
基本、1記事4ページの内容をまとめた一冊なので、気になるところから読めるのも良い。
個人的には『"英国人"スーチーの果した偉業』というコラムが面白かったです。
テレビが映すスーチー像とは真逆の文脈から切っていてね。
ともあれ政治リテラシーの低い自分には、勉強になりました。
やっぱり何事も勉強だな。。